「いじめ」は何故起きるか?
2006-11-16 Thu 23:34
 近頃、「いじめ」による自殺者が増え続けています。何故に「いじめ」が起きるのかを根本的に考えなくてはなりません。自殺者が多いのは小学生・中学生・高校生、そして社会人です。何故か大学生には「いじめ」による自殺者は少ないです。人は何故?人を「いじめ」なくてはならないのでしょうか?自分の力を誇示したいのでしょうか?「いじめ」られた人の気持ちや思いを考えた事があるのでしょうか?

 幼少の頃に私は昆虫採集をして沢山の「命」を犠牲にしました。自己満足です。それが小学校の夏休みの宿題で有ってもです。いま当時を振り返り考えると「いじめ」を人以外にしていたのに気づきます。暴走族をしていた頃に「いじめ」は存在しませんでした。寧ろ仲間を守るのが先決でした。この存在意識こそが、小さい頃の昆虫採集での「殺生」=「いじめ」と考え、相手の気持ちになれたのだと思います。小さい頃に自然と向き合う事が出来たか否かが根本的な底にある本質では無いでしょうか?

 宮澤賢治の詩にある「雨ニモマケズ風ニモマケズ」というのは、どういう顔の人を言うのでしょうか。悲しみに堪えた顔であり、苦しみに堪えた顔であるのではないでしょうか。人の世の様々な批判にジッと堪えた顔でもあります。そして、一言も弁解をしない顔でもあります。何にも言い訳をしない顔であります。そしてまた、どんなに苦しくてもどんなに辛くても決して弱音を吐かない顔でもあります。絶対に愚痴を言わない顔でもあります。そのかわり、やらねばならぬことは、ただ黙ってやり抜くのです。と言う堅い意志の顔でもあります。一番大事なものに、一番大事な「命」を掛けます。そうゆう毅然とした顔であります。この眼の深さを見るのです。深い眼(まなこ)の底にある、さらに深い憂いを見るのです。弁解や言い訳ばかりしている人間(「いじめ」る側の卑怯な人間)にはこの深い憂いは決して出来ないのです。きっとホタルさんや人間以外の動植物さんは、こんな毅然たる顔で、堂々と生きていると思います。

 命を掛けるとは「自殺」や「死」では有りません。やるべき事は、相手を思いやる事でも有ります。「生いる」こそ意味があります。一時の悲しみや辛さは、将来必ず自分に「幸せ」をもたらすと信じて下さい。自信を持って自分の顔を見つめて下さい。「いじめ」る側の人間は必ずや天罰が下ります。「いじめ」る人間は自分を見つめる事は無く、
常に誰かに責任を擦り付ける卑劣な生命体です。


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